著名人インタビュー

Vol.05 能楽囃子大倉流大鼓 重要無形文化財総合認定保持者 大倉正之助さん

Vol.05 能楽囃子大倉流大鼓 重要無形文化財総合認定保持者 大倉正之助さん オートバイは失われた日本の精神文化を取り戻すツール

「能とオートバイは生きていく上での両輪」と語る大倉さんは、伝統芸能の家に生まれながら、体当たりの生き方で独自のバイク道を切り開いてきました。ある時は能楽堂をバイクでとり囲み、ある時は世界の芸能者と波乱万丈の旅をする中で、何を見、何を感じられたのでしょうか。能とバイクとの哲学的なつながりや、社会の中でのバイクの新しい役割についての構想をお聞きします。

伝統と現代社会とのはざまで

── 大倉さんは能楽囃子大倉流の宗家という名門に生まれて、伝統を継ぐための修業を積まれたのですね。

幼い頃から祖父や父を師匠に、長男として鼓の稽古をつけられていたので、はじめのうちは、ごく自然に能に親しんでいました。ところが中学、高校に進むと、能は日本の伝統文化だというものの、誰もやる人がいない。学校でも音楽の授業はドレミでモーツァルト、ベートーベンを教えてる。そういうことに気づくと、稽古を続けていても自分に将来があるのか、このままでいいのかと考え始めてしまった。すっかり西洋化し、アメリカナイズされた価値観の中で、日本の文化的な価値がどんどん失われていくことに葛藤をおぼえたんですね。
そんな混沌とした気持のまま日々が過ぎ去ったある日、たまたま家で、有機栽培の見事な野菜に出会ったんです。衝撃でした。その野菜の中に生命(いのち)を感じて、ああ、これに比べると自分はまるで生ける屍のようだ、どうしても自分でこういう野菜を作ってみたいという気持ちを抑えられなくなった。
そこで家を出て、伊豆の山中に小屋を建てて、晴耕雨読の生活を始めたんです。冬の農閑期は近所の大工さんや石屋さんを手伝ったり、美術館で絵を教わったり、バイクショップの店番をしたり。バイト代がわりにもらった中古バイクで山の中を駆け回るうちに、どんどんバイクの世界にのめりこんでいきました。ホンダの250や500、ヤマハXS1、カワサキZIIなどを足代わりに、全国の農場見学にも行ったし、伊豆スカイラインなんて庭のようなものでした(笑)。

再び鼓を持って社会との接点を探す

翁附五流五番能より「船弁慶」

翁附五流五番能より「船弁慶」

── 伊豆での暮しの後、また鼓の世界に戻られたんですね。

バイクを通じて知り合った同世代の連中と話していたら、みんな同じ悩みを抱えているのがわかってきました。大工の息子は親父の跡を継ぎたくない、左官屋も石屋も農家も、みんなそうなんですね。ふと我に返って、じゃ自分はなんでと考えると、鼓自体が嫌いなわけじゃない。むしろ社会とのつながりが希薄なのがイヤなのかもしれない。職人さんたちも同じで、あれだけの技術がありながら、社会がそこに価値を見出してくれていない。それなら、そこを破っていくような活動をしていこうと考えて、様々な試行錯誤のあと、大鼓奏者として新しい何かを見い出していこうと思うようになったのです。
大きな転機は、父が亡くなって一周忌の追善能を見にこられた挿花家の栗崎昇さんから、自分のパフォーマンスで1時間、前代未聞の大鼓ソロ演奏をしてほしいという依頼でした。このとき観に来ていらしたそうそうたるクリエイターの方々から演奏の依頼を受けるようになって、それまでの能の世界では考えられないことが始まったんです。

満月ツーリングと飛天双○能

平成16年12月「飛天双○能」第12回のパンフレット。表紙はバイクの二輪の意匠。

平成16年12月「飛天双○能」第12回のパンフレット。
表紙はバイクの二輪の意匠。

── 双○能(ふたわのう)という、能とオートバイを合体させる公演も、規制の枠を打ち破る試みですね。

これのスタートは、横浜のライダーズクラブ「ケンタウロス」が毎月満月の夜ツーリングをしていて、それに大鼓を打って参加したのがきっかけです。この集まりがだんだん成熟して、大鼓を聞いていたほかのメンバーも能楽堂へ行ってみたいと言い出した。そこで13年前、1月8日の満月の夜、水道橋の宝生能楽堂を大型バイクが取り囲み、革ジャンが席を埋めた「飛天双○能」第一回公演が実現しました。以来年1回、ひと月ずつ開催日をずらして続けてきて、昨年2004年の12月8日で一回りの12回を終えました。

芸能の原点は命がけの旅だった

── オートバイを通じての出会いが大倉さんと鼓のつながりを深めてきたという印象ですが、オートバイそのものと能は共通項があるのでしょうか。

かつて芸人は、各地を旅をすることで情報伝達の役割を担っていました。あちらの出来事をこちらの国に伝えるというメディアだった。だから芸能の原点は「旅」なんです。オートバイというのは、現代生活の限られた時間の中で、そういう旅の原型に最も近い形の体験をさせてくれるものです。昔のように何日もかけて徒歩で熊野詣や四国遍路はできなくても、オートバイなら2~3日で行って帰ってくることができる。
昔の旅は、なかば死を覚悟して行くものでした。いちど死線を越えて還ってくることで新たに生まれ変わる、再生の儀式でもあったわけです。オートバイにもそれに近い感覚があります。途中でさまざまな障害を乗り越えなければならない。オートバイは現代的な様相を持ちながらも、古代的な感覚を復元させる力があるんですよ。
また、動く応接間のようなクルマとちがって、オートバイは最小限の荷物しか持っていけない。これも昔の旅と似ています。最低限必要なものを吟味するには、生活の見直しをせざるを得なくなる。そうして物質を極限までそぎ落として、必要最低限のものだけを残すというのは、まさに能の表現の真髄でもあります。だからこそ観る側の想像力が試されるし、観る人の器しだいで無限にまで世界を広げることができる。オートバイにおいても、走りながらイメージの中で宇宙を飛行することだって可能なんですよ。

2002年のグローバル・ライダーズ・ミーティング。

2002年のグローバル・ライダーズ・ミーティング。

韓国の道を走る。

韓国の道を走る。

夜のライブ、この日は多国籍パーカッション。

夜のライブ、この日は多国籍パーカッション。

── 「グローバル・ライダーズ・ミーティング」という、現代の芸人たちの壮大な旅も続けておられますね。

「グローバル・ライダーズ」とは、バイク乗りに限らず「地球に乗っている人たち」という意味です。1994年の戦後50年を前にして、国々の文化や言語の隔たりを越えていくために何かできないかと考えて、一緒に地球に乗っている者同士で旅をしませんか、できればオートバイで、と呼びかけたんです。旅をしながら、戦争で亡くなった人々の魂を音楽や踊りで慰める、鎮魂の旅でもありました。
能も本来は鎮魂を主目的とした芸能であり、天と地と人々のつながりを深めるものでした。それに近づくひとつの手段としてグローバル・ライダーズを立ち上げたのです。国境、人種、さまざまな文化の差異を越え、世界10数カ国から、多いときは100人以上のライダーが参加して、海外メーカーや国内4メーカーの車両をお借りして前代未聞の旅が始まった。各地のお寺や、海、山でキャンプをし、夕刻には毎晩、各国の音楽家の演奏が繰り広げられ、アフリカ、アラブ、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、インドネシア、中国、韓国などの音楽もあれば、薪能もあり、芸事好きにはたまらない企画です。ただ毎日200~300キロ走り、10日間ほどの日程で旅を続け、夏の炎天下「もうやめて帰りたい」という声も出ました。
でもそこで、「我々がこの苦しい旅をしているのは、戦争の苦しみを分かち合い、なぜ戦争がおきてしまったのか、これから日本は、アジアはどうすべきなのかを考えるためだったのではないか」と語り合ううちに、想いが改まり旅を続けることになった。参加した人は、韓国の人も中国の人も、その次に我々が海を越えて行ったときには本当に歓迎してくれて、互いの国々でバイクツーリングに参加するなどの交流が起こりました。

オートバイは人間の潜在能力を甦らせる

── 社会が変化しても戦争の記憶を風化させないために、オートバイの旅を通して自分の肉体をあえて困難な環境に置くということですね。

オートバイは社会を映す鏡みたいなところがあって、現代の価値観が排除してきたものを集約しています。肉体的なつらさや、自分が自主的に行動を起こす力、危険を回避する力、風雨や暑さ寒さ、季節の変化に対応する力など、どれも失われつつあるものです。社会や技術の進歩は、人が生きる上での基本能力を奪い、コンピューターで管理された部屋でポーっとしているように仕向けてきました。そうやって失くしてしまった感覚が、実は大切なものだったと、ようやくみんな気づき始めたんじゃないでしょうか。
能に登場する重要なキャラクターである『翁』は、特定の人格ではなく不特定の名もない神々、つまり自然の中に偏在する見えないエネルギーの象徴です。かつて我々は、こうした不可視の力と交流し対話する能力を持っていた。オートバイは、こういう人間の潜在能力をもう一度取り戻すのにとても有効だと思います。

── オートバイが、日本の精神文化を取り戻す道具になれれば、すばらしいですね。

もう一つ、江戸開府400年の年(2003年)に考えたのですが、バイク乗りの一つの将来像として、江戸の「町火消し」のようなネットワークを作りたいと考えています。阪神淡路大震災で、ケンタウロスは震災2日目に被災地に入って大きな貢献をしました。4輪では通れない道路でも、2輪なら行ける可能性があります。「火消し」といっても消火だけでなく、人命救助、物資輸送、通信など、いくらでも活躍の場は考えられる。教習所でも免許を取る際に、いざという時の心構えや救急医療処置をカリキュラムに組み入れてほしいですね。そうなれば、バイカーたちはもっとプライドを持って、社会の役に立てると思うんです。
具体的には、「グローバル・ライダーズ・ミーティング」の戦後50年の旅で先導役を務めてくれたラリードライバーの池町佳生さんを中心に、火消し隊の組織作りを始めていて、東京都や都内の寺社などの支援をお願いしています。ライダーにはもともと互助精神のようなものがありますから、志を同じくする若いライダーたちが良き先輩に出会って、知恵や技術を継承していく母体となってほしい。こうして日本の二輪文化が精神的な面でどんどん充実していくとよいですね。

思いを大切にしたもの作りを

2004年の第7回もてぎオープン7時間耐久ロードレースに出場

2004年の第7回もてぎオープン
7時間耐久ロードレースに出場

コーナーにて、先頭が大倉さん

コーナーにて、先頭が大倉さん

── バイク業界やメーカーに望むことは何ですか。

「思い」を大切にしたもの作りをしてほしい、ということでしょうか。 子どもたちに能を教えるとき、「鼓の音はどこから出ると思う?」と聞くことがあります。音は、手からでも鼓の皮からでもなく、「音を出そう」と念じる思いから生まれてきます。「打つ」はすなわち「うたう」であり、メッセージを発することです。これは能だけでなくネイティブアメリカンなど世界各地の音楽の古層にある呪術的な概念ですが、命あるものはすべてその根底の「思い」によって動いている。
オートバイは鉄とゴムの塊でありながら、人の「思い」や意思がこもったものだと思います。この思いが乗り手を動かしていく。ひたすら走りたい、飛ばしたいと思わせるバイクもあります。XS-650に初めて乗った時には何ともいえずのどかな気分になり、田園をゆったりと旅したいと感じました。ずっと後にこのバイクをデザインされたGKデザインの石山篤さんとお話してみると、確かにそう思って作ったと言われました。
石山さんは私の演奏を10年以上見続けて下さって、そこからインスピレーションを受けて「鼓動」というコンセプトでバイクをデザインされました。1999年のコンセプトモデル発表から6年を経て、いよいよ今年MT-01として発売されたということで、うれしく思っています。石山さんはこの功績で、岐阜県の「織部賞」というとても素晴らしい文化の賞を受賞されました。
これまで日本のバイクは世界に誇る性能がありながら、大人を満足させる強烈な個性や主張がないのが淋しいところでした。工業製品ですから、コストや生産性、マーケットの動向と無縁ではいられないけれど、商業主義一辺倒ではせっかくのバイクの個性を潰してしまう。その点、日本文化をコンセプトに据えたMT-01は画期的ですが、もっともっと挑戦を続けて行ってほしいですね。
私自身、バイクに育てられた人間の一人として、のみならず重要無形文化財総合認定保持者としても、日本のバイク文化にもっと良くなってもらいたいと本気で願っています。そのためにできることがあれば、喜んでお手伝いさせていただきます。

── 社会や文化の世界で、バイクが新しい役割を担っていく可能性は、まだまだあるということですね。貴重なお話をありがとうございました。

(2005年3月28日(月) 於:東京品川・NMCA日本二輪車協会)

大倉正之助 プロフィール

大倉正之助(おおくら・しょうのすけ)

大倉正之助(おおくら・しょうのすけ)

能楽囃子大倉流大鼓奏者
重要無形文化財総合認定保持者

CD
『WORLD BEAT』(アメリカ・ピアザ・プラスレーベル)
『飛天』(ユニバーサルミュージック)
著書
『鼓動』(致知出版)
『破天の人』(アートン)

大倉流15世宗家故大倉長十郎の長男として生まれ(室町時代より650年続く能楽囃子「大鼓・小鼓」の家)、当初は小鼓方として父より稽古を受ける。9歳で初舞台を踏み、その後17歳で大鼓に転向。能舞台の活動はもとより、過去類を見ない「大鼓ソリスト」として新たな分野を確立し、至難の技とされる素手打ちにこだわる。

自身で主催する能公演やインタージャンルのアーティストとのライブパフォーマンス活動など、大鼓という日本古来からの打楽器を通じて日本文化の素晴らしさを発信しているアーティストであり、文化プロデューサーである。

またローマ法皇より招聘されバチカン宮殿内のクリスマスコンサートにて演奏、ニューヨークメトロポリタン美術館での「オリベ2003 in NY」に出演、スイス・ダボスで行われた世界経済会議(東京ナイト)での演奏など、世界各国の式典やイベントで「大鼓独奏」を披露。アトランタオリンピックではシンクロナイズドスウィミング日本代表チームの音楽に大鼓の音源を提供する他、メルセデスベンツのCMに出演するなど、国内外のテレビ・雑誌・新聞等で高い評価を受けている。

著書、致知出版より『鼓動』、アートンより『破天の人』、ユニバーサルミュージックよりCD『飛天』を発売している。

大倉正之助さんへ「10の質問」

1 現在の愛車は? ヤマハV Max、R1、FJR1300。
2 最初に乗ったバイクは? リトル・ホンダ。友達を引き連れて自転車で野山を駆け巡っていた中学生の頃、懸賞で当たったもの。
3 今後乗ってみたいバイクは? ヤマハMT-01。
4 愛用の小物は? ウェスタンブーツ。いつ何時でもバイクに乗れるように、スーツでも足元はブーツ。
5 バイクに乗って行きたいところは? 友人の古楽器研究者と、ヨーロッパ各国の古楽器を巡るツーリングを計画中。各地の演奏家とセッションもしたい。
6 あなたにとってバイクとは? 生きる道具。人生の伴侶。
7 安全のための心得はありますか? 先ずは祈念する。
8 バイクに関する困り事は? せっかく夢を抱いて乗り始めた人が、ちょっとした事でミスを犯し、バイクから離れてしまうケースが多い。教習所や販売店でも、現実に即した技術や知識を教えていない。
9 憧れのライダーは? キム・デーファン。年齢、性別、国籍を越え、たくさんの人々に多大な影響を与えた韓国のスーパーアーティスト。(著書『破天の人』の主人公)。
10 バイクの神様に会ったら何と言う? 「日本のライダーたちの社会的地位が向上するように」「日本のバイク業界をどうか救ってください」

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